2011年5月23日月曜日

ユルスナールの靴

こんにちは、(よ)です。

高校生の時だっただろうか、
好きな作家が連載をしていて
私は「文藝」を買い始めた。

ホントにそのころの文芸誌って
とっつきにくいことこそよけれ、
と思ってんじゃないかってくらい
とげとげしてて
ジャック・デリダや中上健次などを知ったのも
この時。

飲み下しにくい苦い水みたいなページを
背伸びしつつ我慢して読んで いた私の眼に
すっと沁み込んできたきたほの甘い水、

「きっちり足に合った靴さえあれば、
自分はどこまでも歩いていけるはずだ。
そう心のどこかで思いつづけ、
完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら
私はこれまで生きてきたような気がする。
行きたいところ、行くべきところ全部に
自分が行っていないのはあるいは行くのをあきらめたのは
すべて、じぶんの足にぴったりな靴をもたなかったせいなのだ、と」

それが、須賀敦子さんの文章でした。
のちに「ユルスナールの靴」という本として出版されることになる
その文章の美しさにわたしはうっとりしてしまい、
ユルスナールが誰かなんてほっといても
毎号埋没するように読んだものだった。

今のわたしならまだしも、
なんで高校生がこんな悔恨ともとれるようなテキストに
魅せられてしまったのか、
不思議ではあるけれど、それほど大好きだったのです。

最近、須賀敦子さんの全集を手に取りました。
ひさしぶりに読み返してみて、
その静かで優しくて頑固な語り口と再会。
全集はまだまだ8冊あるので安心。
読むものがたくさんあります。

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