2011年6月6日月曜日

100,000年後と、人類の業

梅雨入りしたそうですね!
(よ)です

昨日は、なんだか考えるDAYでした
まずはKBCシネマで
「100,000年後の安全」という映画を見ました
フィンランドに建設中の
高レベル放射性廃棄物の最終処分場のドキュメンタリー。

 

フィンランドの地下500mの深さに作られている処分場「オンカロ(隠された場所)」。
処分場とはいいつつ、ここは「埋葬するための場所」です。

原発が安全なのか危険なのか?
必要か?不要か?という文脈での議論は
いろんな立場でありますが
そもそも原発を稼働させたら絶対に出る廃棄物を処理する方法は
世界中の科学者が現時点では「ない」と断言している。
つまりそれだけは、はっきりしているわけです。
そこでフィンランドでは、放射性廃棄物が無害化する10万年後まで
確実に保管できるであろう場所をつくっているのです。

映画を見ていると
だんだん変てこな気分になってきました
どこまで考えても、絶対に答えがでないから

というのも
「ここに眠っている物質は危険なので、近づかないでください」
と10万年後の人類に伝える必要がある。
では、 それを何語で、どのように残すのか?とか
(いまのとこフィンランド語ということになっている)
それを伝えることができたとして
悪用しないよう未来の人類を信用できるのか?とか
知的好奇心のために掘り起こしたりしないのか?とか
(いまのとこそう信じるしかない、という結論)
そんな仮定の話が行われるのですが
今より10万年前の人類といえば
なんとネアンデルタール人!
ということはつまり、この議論は
ネアンデルタール人からの言語やメッセージを
わたしたちが読み取り、理解し、管理運用できるか?ということに近いのです

それって常軌を逸してるように、わたしには思えるのです。
そんなとんでもない前提に立たないと扱えない物質は
たかだか80歳程度の寿命しか持たない人類の
手には負えないものだったのじゃないだろうか?
身の程知らずなんじゃないか?
10万歳寿命があれば別かもしれないけれど!
あたかも人の寿命がそれだけあるように振舞うことが
科学技術なのか?
もう途方にくれてしまいました

そのあとはNHK三昧。
21時~ 「原発危機 第1回 事故はなぜ深刻化したのか」
22時~ 「続報 放射能汚染地図」

そして
22時30分~「暗黒のかなたの光明~文明学者 梅棹忠夫がみた未来~」










 暗黒のかなたの光明 番組ホームページ

大学の時、文化人類学を専攻していて
梅棹さんの著作も読んだものでした
梅棹さんが館長を務めていた「国立民族学博物館」も大好きで
何度か足を運びました

でも、今ほど彼の言いたかったことが
欠片なりとも分かる時はない
今までは、読んでるだけ、見てるだけで、
本当はなんにも分かっていなかった

番組の中で出てきた
最後の未完の著作「人類の未来」の目次が
もうもうびっくりするくらい、
いまの世界をするどく言い当てていて、
まるで予言者。

番組の通奏低音として
梅棹さんは
「人類は、知的活動をする点で、人類たりえるプラスの評価ができるが
その知的活動を制御できない『業』のあまり
知的活動によって自らの墓穴を掘っていると考えていた」
と伝えていました

この言葉と、「100,000年後の安全」 が
驚くほどリンクすると思いませんか?
もうなんにも知らずぼけっとしてた自分、ばかじゃないの?と
ほとほと嫌になった一日でした。

興味のあるかたは、映画はKBCシネマで6月10日(金)まで。
梅棹忠夫の番組は、きっと再放送があると思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。